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平成バブルを振り返る

平成バブルは相当昔のことですが、継続地代などの評価においては影響を受ける場合がありますので、振り返ってみました。

バブルとは

バブルとは、経済の実態を離れてた資産価格の上昇を言います。

金融政策や財政政策による増加したマネーが、資産に向かうと資産価格は上昇します。
ここで、インフレーション(物価の上昇)が発生すれば、引き締め政策がとられるので、それにつられて資産価格も下落します。
しかし、インフレが発生せず、引き締め政策がとられずに市場の期待が上がり続けたら、資産価格は経済の実態を離れた上昇となり、崩壊したときに経済が大怪我をしてしまいます。

平成バブルは、1986年12月から1991年2月までの51ヶ月の間に起きた資産価格の上昇などのことを言います。

プラザ合意

平成バブルが生じるまでの前段階として外せないのが、プラザ合意です。

1980年代の前半は、日本の円が安かったため貿易黒字が大きく、日本は好景気でした。
しかし、逆にアメリカは貿易赤字が大きく、不景気でした。

そこで、アメリカの要請により、プラザ合意がおこなわれ、円安ドル高が是正されることになりました。

その後、プラザ合意時点「1ドル240円」だったのが、1年後には「1ドル150円」になるなど、急速に円高進行しました。

この円高により、日本の輸出業は大ダメージを受けることとなり、円高不況に陥りました。

プラザ合意とは

1985年9月22日 ドル高是正に向けたG5各国の協調行動への合意

平成バブル

プラザ合意後の円高不況の対応のため、公定歩合が段階的に2.5%まで引き下げられました。

公定歩合の推移

1985年9月:5.0%(プラザ合意時点)
1986年1月:4.5%
1986年3月:4.0%
1986年4月:3.5%
1986年11月:3.0%
1987年2月:2.5%

これにより、資金調達コストが下がったため、設備投資が活発になりました。

銀行から低金利でお金を借りて「土地を買って工場を建てる」というような健全な動きにより、地価が上昇しました。
それに目をつけた資産家等が、土地を買って転売をして利ざやを稼ぐようになりました。
そしてそれは当たり前の風潮となり、一般の企業でさえも土地などの資産に投資をするようになりました。
これは、財テクと呼ばれ、これをやっていない経営者は馬鹿だのアホだの言われたそうです。

地価の上昇は、東京の商業地から始まり、地方都市の商業地、都心の住宅地、リゾート地にまで広がっていきました。

このときの有名な言葉に「土地神話」があります。

・日本は島国であるため、基本的には面積が増えず、山や森林が多いため住めるところも限られている。
・人口は上昇を続けており、地価が下がることはありえない。

というものです。
この土地神話は多くの人が信じ、安全な投資として土地を購入していました。
金融機関も土地神話を信じており、土地を担保に融資をすることは安全であるため、積極的に融資していました。
それはもう信じ切っており、将来の値上がりを織り込んで、オーバーローンでの貸付も行われていたそうです。

他にも、東京の国際都市化を政府が推進しており、「超高層ビル250棟が足りない!」とアナウンスしていました。
このアナウンス効果により、土地需要が喚起されたとも言われています。

資産価格は上昇を続け、

株価は1989年末に最高値「3万8915円」

地価は1991年2月までに東京圏は2.3倍、大阪圏では3.4倍

まで高騰しました。

バブルチャート

平成バブル崩壊

行き過ぎた資産価格を抑えるため、公定歩合の引き上げが行われました。

公定歩合の推移

1989年5月:3.25%
1989年10月:3.75%
1989年12月:4.25%
1990年3月:5.25%
1990年8月:6.0%

公定歩合の引き上げにより、一時的に株価は下落したものの、正常な市場維持のため好印象に捉えられたそうです。
その後、1989年末に株価が最高値をつけたものの、1990年から下落相場が始まり、1年で半値になるまで下落しました。
この下落理由は解明されていないそうです。

地価は株価の下落を尻目に、1990年においても依然として上昇あるいは横ばいにありました。

しかし、地価の上昇は国民生活が脅かされるため、政府等が複数の規制をしました。
主だったものは以下の通りです。

・総量規制(1990年3月~1991年12月)
不動産向け融資の伸び率を貸し出し全体の伸び率を下回るよう求めた通達。

・地価税(1991年5月~)
一定の土地等を有する個人及び法人にかけれる国税。現在は停止中。

・BIS規制(1992年末)
貸し出し枠を自己資本比率の範囲内に収める。国際決済銀行の取り決め。

これにより、金融機関が貸し出しを渋りだしたため、土地の需要者が減少し、需給が緩み、地価は下落しました。

地価の下落により担保割れを起こした債権は不良債権となり、金融機関は大怪我を負うこととなりました。

そして、失われた20年が始まることとなります。

バブル初期の1987年頃に規制していれば・・・
バブル崩壊後に金融機関を救っていれば・・・

などなど、思うところはありますね。

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